ペルーへの旅・2日目 No.1

dscn1313.JPG リマは標高が低いが、今日の目的地は標高3070メートルのタルマ。車で4時間だそうだ。しかも、そこに行くまでには、標高4818メートルの地点を通過しなければならない。マノロのお母さん、ユーメリアが、だから朝食は採らないほうがいいと。前日も夕食を採らずに寝たというのに、ここでまた朝食抜き? そんな!

そう思いながら、午前8時にマノロ宅を出発、途中、PeruFloraのナーサリーによったりしながら、目的地タルマへと向かう。リマは海沿いの町だが、そのリマのすぐそばまで山が迫っている。それもイギリスにあるような丘のような山ではなく、本格的な山だ。だがその山は、子供が、砂利交じりの土を入れたバケツをひっくり返したような、そんな山なのだ。そこに大きなサボテンが生えているが、それも土ぼこりをかぶって、すっかり砂色をしている。

写真はこのあと10日間、ずっと案内役をしてくれたサウル。

ペルーへの旅・1日目 

ロンドン午前7時25分発のイベリア航空で、まずはマドリッドへ。そこでリマ行きに乗り換え、リマ到着は同日午後17時35分。時差6時間。直前に起こったロンドンのテロ危機の影響で、普段よりも早い2時間半-3時間前にはヒースロー空港に着いていなければならず、もともと長い空の旅が、ますます長いものとなりました。とはいえ、ミネラルウォーターの持ち込みはできなかったものの、カメラ、電子機器の持ち込みは可で、よかった、よかった。マドリッド-リマ間の距離は、マドリッド-成田間の距離よりも少ーし短めのようです。

リマ空港には、PeruFloraのマノロ・アリアス氏が、わたしの名前を書いた旗を持って待ってるからとのことでしたが、そんな旗なんてどこにもない。あれ?いないねーと言いながら、出迎えの人々の中に見える、名前を書いた旗の、その名前を一つ一つ読んでは、ああ、この人でもない、あの人でもない、と視線をどんどん移していきました。旗を持っている人たちも「この人が、自分が待っていた人なのか」という好奇心と期待感を合わせ持った目で、しばらくこっちをみつめているのですが、違うとわかると、また隣の人とのおしゃべりに戻っていくのでした。なんだか奇妙な、緊張の一瞬でした。

ようやくマノロと合流。彼の運転する車で彼の(ご両親の)自宅へと向かいました。リマの町は、かなりごみごみした、埃っぽい町。渋滞で車が止まれば、そこにお菓子やらなんやら手にした人たちが物を売りに来る。長旅に疲れ、喧騒とした町に疲れ、その日は夕食抜きで、マノロの豪邸の一室ですぐに休みました。

 

どうしてペルー?

8月22日から9月6日まで、ペルーにランを見に行ってきました。

今まで、南米に行くなんてことは考えたこともありませんでした。それがなぜペルーか。

実は、RHS(Royal Horticultural Society英国王立園芸協会:www.rhs.org.uk)に去年の7月、新しいBursaryができたのです。植物画家のために補助金が出るもので、The Dawn Jolliffe Botanical Art Bursaryといいます。RHSラン委員会委員長オークリー博士の勧めもあって申し込んだ結果、第一回目の補助金を受け取ることができるようになったのです。

選んだテーマがペルーのラン。これはそれまで描いていたランが、Encycliaという中南米原産のランであったこと、今後描きたいと思っていたランが、Masdevalliaといって、これまた中南米原産のランであったことから決めました。

ペルー2週間の旅については、今後写真つきで書いていきたいと思っています。

RHSの奨学金について:www.rhs.org.uk/learning/education/bursaries.asp

ニュースレター:www.rhs.org.uk/learning/education/documents/BursariesNewsletter12.pdf