チャールズ皇太子の花譜

チャールズ皇太子の私邸、ハイグローブ邸。そこにある植物の花譜を作ろうというアイデアは、6年前の2000年くらいにはもうすでにあったらしい。ただ、なかなか進まず、2冊出版する予定の1冊目もまだ完成していない。完成していないどころか、1冊目に載るはずの絵もまだ集まっていない。

だが、今日、わたしの描いたマグノリア(Magnolia sinensis)の絵が、審査に通ったという知らせが非公式に届いた。よかったー! これでようやくほっとした。1冊目の仲間入りができるかな。次なる目標は…。

ペルーへの旅・14日目 No.19

行きはクスコのサンペドロ駅から乗ったが、帰りは、クスコより一つ手前のポロイ駅で降り、ミニバスで、ホテルに連れて帰ってもらった。これはサンペドロ駅-ポロイ駅間が、スイッチバック方式をとっていて、電車だと1時間かかるためである。

ペルー最後の夕食は、2日前と同じく、赤唐辛子の絵がかかったレストランに入った。2階に上がり、オーダーし、おしゃべりをしていると、そこに7人くらいの若い男女が英語で話しながら入ってくる。ペルーで買ったと思われるセーターを着ている子が多い。中にはマントを着ている子もいる。いいなー、若いって。イギリスでは大学に入る前に、1年、あちこちを旅行して過ごす子たちがたくさんいるが、それなのかしら? それとも大学に入って、新しい仲間と旅をして回っているのかしら…。

そう思いながらも、わたしたちは最後の食事を楽しみ、おしゃべりを楽しんでいた。

『今回の旅行では誰にも会わなかったね』

ほんとに不思議に思うのだが、たまたま泊まった同じ民宿で、目と鼻の先に住んでいる人に初めて出会ったり、知り合いに遠いメキシコで出会ったり、ということが何度かあると、こういう発言にもなるのだ。

7人の若者グループの中の、マントの子が、セーリングの話を始めた。ん? は? へ? あの横顔は???? まさか? 

でも聞きに行った。「あのー、あなた、Sevenoaks Schoolだった?」 「はい」 「え? ピーター?」 「そうです」・・・

こんな偶然があるんだろうか。誰にも会わなかったねと話したとたんに、高校で、息子といっしょにヨットのレースに出たことがある1年後輩に出会うなんて。しかも、ここはペルーのクスコ。数多くのレストランの中から、たまたま同じ日、同じ時間に、同じレストランに入り、たまたま同じように2階に上がってきて、たまたまヨットの話をし始めたからこそ、こちらも気がついたのだから。

だから人生おもしろい。

ペルーへの旅・14日目 No.18

マチュピチュ発3時半の電車で、クスコに戻った。直前までゲートは開かない。テロの問題もなくなったわけではないので、さりげなく警戒はしているらしい。帰りは、ほかの団体の、ガイドさんの説明もなかったのだが、思いがけなくあったイベントは何か。

なんとファッションショーだった。

車両と車両の間は行き来ができないようになっており、それぞれの車両に数人の乗務員が乗っている。機内でのように、その人たちが飲み物や食べ物を出してくれるのだが、帰りはファッションショーのモデルになるという仕事が一つ加わる。出し物は高級アルパカ製品。そう、わたしが前夜食べたアルパカの、肉ではなくて、毛を使ったセーター、カーディガンの類。素敵なデザインの服を着て、照れくさそうな笑みを浮かべ、車内を往復する。最後に、今紹介したばかりの製品を積んだトロリーと、クレジットカード用のマシンを持って再び現れる。

おもしろいアイデアではあった。

ペルーへの旅・14日目 No.17

そういえば。

マチュピチュ遺跡では、ガイドの説明を聞きながら一通りまわったあと、もう一度、今度はランの花を探しながら一人で歩いてみた。標高の低いほうのジャングルに面した、かなり切り立った部分(それでも幅1メートル以上の芝の通路がある。)に、ソブラリアが咲いていた。ソブラリアはあちこちに咲いていたのだが、とにかくこれも見に行こうかな、と思ったとき、「大丈夫ですよ」と声がした。それも日本語。見ると、ちょうどソブラリアの下辺り、芝の通路から、20歳くらいの男性が出てきた。

日本から、一人旅で来ているという。ペルーから空路クスコに入り、ホテル代が高いのと、高山病が怖いのとで、クスコは素通りし、もう少し標高の低い遺跡から、マチュピチュに来たのだと言う。「昨日もここに来て、こうやって、ここで一日昼寝してました」。優雅なひと時をすごしたのだな。

この男性とは10分くらいおしゃべりをした。ソブラリアを撮りに来たのだよ、これはランなんだよ、ここに来る道にも、別のラン(Epidendrum secundum)が咲いていたよ、と話すと、ああ、それはこれですか?と見せてくれたデジカメに写っていたのは、全く違う花だった。でもご両親が花好きで、だから花の写真もたくさん撮っているのだそうだ。

10分もおしゃべりしてくれたのは、きっと人恋しかったからなのだろう。翌日にはチチカカ湖に移動し、ボリビアに抜けると言っていたっけ。今頃は、多くの思い出を抱えて、また勉学に励んでいるのだろうか。