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2006年9月1日

ペルーへの旅・11日目 No.12

リマに着いてから、マノロのお母さんに花束を買って、マノロの豪邸に戻った。わたしたちが戻ってくるのに合わせて、コロンビアから戻ってくるよと言っていたマノロは、残念ながら、仕事先のコロンビアから帰ってきていなかったので、夕食は、マノロのお母さんと妹さん、サウルと一緒にご馳走になった。

食事が終わってから、お酒の話になる。ピスコサワーを飲んだかと聞かれ、飲んでいないと答えると、じゃ、早速作ってあげましょうと、お母さん自らキッチンに入って行った。(ほんとうはお手伝いさんがいるのです。)待っていると、なんだかとても大掛かりな音が聞こえてきた。

出てきたのは、白いお酒。ピスコというのは、アルコール度40%くらいの、白ぶどうでできた蒸留酒だそうだ。それを、レモン汁、卵の白身、ガムシロップ(か、砂糖)と氷をいっしょに、ミキサーにかけたものが、ピスコサワーというカクテルなのだ。

わたしはお酒に強くないので、あまり飲めなかったが、これはとってもおいしかった。このあと、クスコ、マチュピチュでは、あちこちに「ピスコサワー」のメニューが出ていた。

ペルーへの旅・11日目 No.11

ラオロヤからリマに向かう道路は国道20号線だ。これは幹線道路で、大型バスも通れば、一般乗用車も通る。大型トラックも通れば、タクシーも通る。それがみんな片側1車線のこの国道を利用するのだ。

しかも、この道はフニンあたりの平原を行く道ではない。4800mのアンデス高地から海に面したリマまでを結ぶ道だ。山岳地帯はカーブが多い。勾配も急だ。当然、大型車の運転はゆっくりになる。その後ろについた普通車は、その大型車を追い越したくなる。

そこに登場するのがパトカーだ。

ペルーのパトカーはおもしろい。タルマ、ワサワシ、サンラモン、パルカあたりをタクシーで通ったときに、何度かパトカーに止められた。一瞬、パスポートを見せろとでも言われるのかと、どきっとしたが、確認するのは、わたしたちのパスポートではなく、運転手の免許証だった。そして、何かと賄賂を渡す場面が登場するらしい。セサもサウルも笑って、そう言っていた。 

そういえば、ペルーでは、賄賂を悪いことだとは考えていないと、何かで読んだ気がする。

話が脱線した。この国道では、山岳地帯を通過するときに、普通車が大型車を追い越したくなる場面が数多くある。当然、カーブの場所が多い。カーブだから見通しはきかないし、危険だからと、道路に追い越し禁止のマーキングはある。それでも追い越したくなるものらしい。

あるとき、セサも前を行く大型トラックを追い越そうとした。場所はカーブの手前。追い越しをかけようと、車を中央のラインから半分ほど出したときに、サウルが、待った!をかけた。あわててセサは車を元の車線に戻す。対向車は来なかった。なんだ、行けたか…と、そう思ったときに、前に現れたのは、なんとパトカーだった。カーブを越えたところで見張っていたのだ。

まずは免許証を確認。それからセサは車の外に呼び出された。「いやあ、なんとかなるよ」と、小銭を持って出て行ったが、なかなか戻ってこない。これはまずいことになったのかな…と心配し始めた頃、戻ってきた。

何があったのかはわからないが、別に賄賂を渡すこともなく、免停になるということもなかったそうだ。きっと、車体を半分、対向車線側に出したものの、実際には追い越さなかったからだろう。その後、セサの運転が慎重になったのは、言うまでもない。そのあとも何度かパトカーが隠れているのを見たから、あそこでお灸をすえられたのは、きっとよかったことに違いない。

ペルーへの旅・11日目 No.10

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またフニンあたりには、道路脇に小さなスタンドが出ていて、チーズを売っていた。

さて。

順調にチクリオ(Ticlio, 4818m)到着。「往きはこわいが帰りはよいよい♪」で、外に出ても、もう大丈夫。倒れやしないし、空気の薄さも感じない。無事、記念撮影を済ませることができた。

ペルーへの旅・11日目 No.9

再び、3N号線を、今度は南下、ラオロヤ(La Oroya, 3750m)経由でリマに戻る。

Cathuamayoから、再び、海抜3-4000mの中にある平原を通っていく。ところで、こういう場所もやはり高原と呼ばれるのだろうか。わたしたちのよく知っている、長野県に多く存在する高原のイメージとは全く異なる。荒原である。

広い広いフニン湖を遠くに眺めていると、はるかかなたに列車が走っているのが見えた。これが、あの世界一高い場所を通過するという鉄道の、ラオロヤから北に分かれた線だ。地図を見ると、終着駅はCathuamayoからもう少し北にあるGoyllarisquizgaというところのようだ。地図で見る限り、回りには特に何もないようだが、鉱山でもあるのだろうか。

もともと、この鉄道は、アンデスの亜鉛、銅、それに農作物の輸送のためにできたものだ。1日に1回か2回運行されているらしい。

リマからラオロヤ、そしてそこからワンカヨ(Huancayo, 3271m)へと南東に向かう線は、乾季(4月~10月)に限り、乗客サービスを再開したらしい。これはテロが頻発していた1992年に一旦中止されていたサービスである。それでも、月に1度のサービスとのこと。乗りたい人は早めの予約が必要だ。それと、忍耐と。

このアンデスの中を行く鉄道は、駅が26、橋が61、トンネルが67あり、全長346キロ、リマからワンカヨまで、12時間かかるのだそうだ。