ワサワシの中心部には小さな広場があり、モダンな銀行があった。1軒のお店に入り、昼食にする果物、飲み物、そしてビスケットを購入。店はどこも電気がなく、中は薄暗い。
この日は雨だった。ワサワシの中心部から、さらに奥に入る道を車で進む。晴れていれば土ぼこりのたつ道は、雨が降れば、ぬかるんで、滑りやすくなる。
しばらく行ってから、ガイドのサウルが車を止め、タクシーはそこに待っていてもらって、いっしょに山の斜面を少しのぼる。マスデバリアが何種類かあったが、花は咲いていなかった。
ワサワシの集落までの道は、右手は切り立った崖、反対側は山の急斜面となっていた。道幅は狭く、道の真ん中に、こぶし大の石が落ちていたりする。こんな道で落石があったら、一体どうするんだろう?と不安になった。しかも、時々、カーブのある地点に、小さなチャペルが建っている。これは事故のあとだ。その中の1ヶ所、通過するたびに鳥肌のたった場所は、サンラモンからの帰りに見ると、その下にもう1本、山道が通っているのがわかった。その山道は、なんと土砂に埋もれて、今は通行不可となっている。そして、土砂崩れの始まりは、今通っているこの道の、ちょうど少し上からのようだった。
写真に写っているのが、右手の谷。向こうに見える道はサンラモンへ通じている。ワサワシへの道はもっと狭い。
ペルーに行く前に、外務省海外安全ホームページ(www.pubanzen.mofa.go.jp)で、危険情報をチェックした。タルマ、パルカ、ワサワシのあるフニン州は、「渡航の延期をお勧めします」とか「是非を検討してください」とか「十分気をつけてください」とか、なんだか危険そうだった。しかも、テロリストが隠れているかもしれないと言われるアンデスの山岳地帯…。
ネット検索しているうちに出てきた記事がこれだ。まだテロが横行していた1991年5月21日、ワサワシの村にテロリスト60人が乗り込み、オーストラリア出身の修道女を含む5人を処刑した…と。
ちょっとドッキリのワサワシ行きではあった。村民はくったくのない笑顔を見せていたが、1991年といえば、たった15年前のことだ。しかも、本当に小さな村での出来事。まだまだ記憶に鮮明に残っているに違いない。